以前、このブログに「継続がすべて。」という記事を書きました。
公開したのは、2024年4月です。
読み返してみると、続けることの難しさから話が始まっています。小学生の頃から続いている読書がなぜ続いているのかを考え、褒められた経験が最初の一歩を軽くすること、電車や寝る前のように場面が決まっていることが大きいのだと書いていました。それをピアノにも当てはめて、夜食のあとに弾く。毎日、スケールとアルペジオを弾く。少しの上達を、自分で喜ぶ。
締めには、コツを知って脳をうまく使えば、誰でも続けられる、とあります。
当時の私は、本当にそう思っていました。嘘を書いたつもりは、まったくありません。
そして私は、その後、ピアノを続けられなくなりました。
この二つは、どちらも本当です。
続けようとしていた頃の声が残っていた
レッスンを思い出してみたら、続けようとしていた頃の自分の声が残っていました。
平日の夜のレッスンです。寒くなってきた頃で、私は先生に、最近バッハまでたどり着けないと話しています。
練習の順番は、いつも同じでした。最初にハノンを十五分ほど。その日が25日なら、25番を弾く。それからスケールに触れて、チェルニーを進める。そこまで来ると、もう疲れています。頭が冴えていないと難しいバッハには、手が伸びません。
先生は、平日の夜に弾くのは遅くないのか、と聞いてくれました。私は、むしろこれをやるために早く帰っているのだと答えています。
同じ日に、右手のことも相談していました。ハノンやスケールを弾いていると、右手だけが張る。日によっては、弾き始めてすぐ、今日は駄目だと分かる。
録音の中の私は、かなり真面目に続けています。
だから、続けられなくなった今から過去を見るとき、「意志が弱かった」の一言で片づけることはできません。昔の自分へ「続けるには時間を作ればいい」と言う必要もありません。あの頃の私は、もう時間を作っていました。
継続は、一本の線ではなかった
毎週のレッスンにも、波がありました。
旅行で一週間まったく弾けなかった週。ほとんど練習できないまま迎えた日。曲が進んだと思ったら、次の週にまた同じ場所でもつれた日。
それでも、次のレッスンの日は来ました。
続けるというのは、毎日同じ量を積み重ねることではなく、できなかった一週間のあとにも先生の前に座ることだったのかもしれません。
振り返ると、支えていたのは自分の意志だけではありませんでした。次に会う日が決まっていること。前回との違いを聞いてくれる人がいること。練習できなかった週にも、その日の状態から始め直せること。外側にあるそういう仕組みが、細い線をつないでいました。
続けられなくなった理由は、一つではない
2024年の夏前、発表会に向けて曲を仕上げていた時期に、着替えの最中に指の腱を切りました。
発表会には出られず、当日は指を固定したまま客席で演奏を聞きました。その後もしばらくは、片手だけで弾いたり、ソルフェージュに取り組んだりしてレッスンを続けていました。指が元のように動くまでには半年以上かかり、その後、レッスンを休止しました。その頃には第二子も生まれ、共働きで二人の子どもを育てる生活が始まっていました。
怪我のせいだったのか。子育てのせいだったのか。仕事が忙しかったからなのか。
今になっても、一つには決められません。
悩んだ末に、一度やめることにした、と書きました。ただ、では「やめた日」はいつだったのかと聞かれると、はっきり答えられません。昨日まで続けていたものが、今日から過去になる。その境目は、自分でもよく分かりませんでした。ピアノに向けられる時間と気持ちが、少しずつ減っていったのだと思います。
「継続がすべて。」は間違いだったのか
昔の記事を読み返して、まっすぐすぎる言葉に、少し困りました。
続ければ上達する。それは、今も間違っていないと思います。ただ、続けたい気持ちだけでは越えられない時期が、人生にはあるようです。
かといって、当時の自分を否定したくもありません。あの頃は、本当に続けることで前へ進めていました。
今の私は、続けられない時間があっても、それまで積み上げたものがすべて消えるわけではない、と考えています。
もちろん、弾き続けていられるなら、それがいちばんいいと思います。けれど実際には続けられていなくても、頭の中では、いつもピアノの情報をキャッチしようとしています。
もし今、同じ言葉を題名にするなら、句点のあとに一文を足したいです。
継続がすべて。ただし、続けられない時間も、その人とピアノの関係からこぼれ落ちるわけではない。
久しぶりに先生を訪ねた日
レッスンを休んで3か月ほど経った頃、久しぶりに先生を訪ねました。
先生は、弾かなくなると変な感じはするけれど、また弾けばすぐ感覚は戻る、楽譜は読めるし指も動くのだから、いつでも復活できる、という趣旨のことを話してくれました。
私は、また戻れたら戻りたいと思っている、と話しました。数年後、気分が新しくなったときに再開できたらいい、とも言いました。
今は、ピアノを弾いていません。
「継続がすべて。」と書いた自分と、続けられなかった自分。その間にある数年を、どちらか一方の言葉で片づけずに、ここに残しておこうと思います。

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