ピアノは、一人で弾ける楽器です。
楽譜があれば、自宅で練習できます。先生が隣にいなくても、鍵盤は同じように音を出します。
だから、レッスンに通わなくなっても、自分のペースで続けられると思っていました。
実際には、続きませんでした。
レッスンを休んで3か月ほど経った頃、久しぶりに先生を訪ねました。指はもう治っていました。それでも、ためしに弾いてみると、譜面に目が追いつかず、手も動かなかった。私はそう話しました。
弾ける身体へ戻ることと、弾き続ける生活へ戻ることは、別の問題でした。
毎週、先生の前へ行くということ
レッスンに通っていた頃、次の一週間には小さな期限がありました。
この小節をもう少し弾けるようにしておきたい。前回言われたことを直したい。発表会ほど大きな締切ではありません。それでも、次のレッスンの日が、練習する理由になっていたのだと思います。
練習できなかった週にも、レッスンは来ます。できていない場所から、もう一度始める。
上手に続けられたからレッスンに通っていたのではなく、レッスンがあったから、続けられない週のあとにも戻れたのかもしれません。
直してくれる人がいなくなった
一人で弾いていると、間違えた音はある程度分かります。
でも、音が合っていると、その先へ進んでよいのか分かりません。音が硬くなっていること。左手を聞けていないこと。少しずつ急いでいること。弾いている最中には、なかなか気づけません。
先生がいなくなると、間違いを直してくれる人だけでなく、小さな変化を見つけてくれる人もいなくなりました。
好きなら、一人でも弾ける
久しぶりに先生を訪ねた日、先生は、レッスンに通わなくても、好きで弾いてみてほしい、という趣旨のことを話してくれました。
それは本当にそのとおりです。
けれど私は、一人ではなかなかモチベーションが続かない、と答えました。
好きではなくなったわけではありません。新しい家の間取りには、ピアノを置く場所があります。
それでも、「いつでも弾ける」は、ときどき「今日は弾かなくてもよい」に変わります。今日弾かなくても、誰も困りません。明日でも、一週間後でもよい。そうして、鍵盤に触れない時間が長くなりました。
一人で続けていたわけではなかった
練習の順番を一緒に考えてくれる先生がいました。弾けなかった週の次の曲を考え、少し進んだ場所を見つけ、発表会までの時間を一緒に数えてくれる人がいました。
私が一人で続けていたのではなく、毎週、先生と一緒に続けていたのだと思います。
このことに気づいたからといって、すぐにレッスンを再開できるわけではありません。仕事や家族の時間は、以前とは違います。
ただ、もう一度ピアノへ戻るとき、必要なのは強い意志だけではないのかもしれません。次に誰かと会う日。聞いてもらう相手。小さな約束。
毎日練習するという大きな決意に比べれば、弱く見えます。けれど私の場合は、その弱い約束のほうが、何年もの時間を実際につないでいました。
一人で弾ける楽器を、私はたぶん、誰かと一緒に続けていたのです。

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