ピアノを弾いていたころ、音楽に関係する本をずいぶん読んでいました。
写真に残っている本もあります。もっと読んでいたはずですが、すでに処分してしまった本もあります。棚に並んだ背表紙を眺めると、何冊読んだかよりも、あのころ自分が何に関心を向けていたのかを思い出します。
本を紹介したい、という話ではありません。読んだ内容をまとめたり、どれがおすすめかを順位づけたりするより、ピアノを弾いていない時間にも、なぜ音楽のことを知りたくなっていたのかを考えてみたいのです。
弾くことの外側にも、気になることがあった
ピアノの本といっても、扱うものはさまざまです。演奏する人の身体や脳について書かれた本もあれば、楽器の仕組みや手入れに目を向ける本もあります。小説や漫画の中で、誰かがピアノに向かう時間を読むこともあります。
私が何度も読んだ本のひとつに、古屋晋一さんの『ピアニストの脳を科学する――超絶技巧のメカニズム』があります。ピアノを弾く人の脳や身体、音を動きにしていく仕組みを扱う本です。
ピアノを思い浮かべると、指が高速でよく動くことに目が向きます。では、脳の中では何が起きているのか。何が変わることで、指があれほど動くようになるのか。この本は、そうした疑問を脳の活動と結びつけ、研究の根拠を示しながら説明してくれるところが気に入っていました。読み込んでいた時期には、関連する論文もよく探していました。
知りたかったのは、練習を重ねるうちに指や体全体の動きが変わっていくことと、脳活動がどう関係しているのかでした。繰り返し練習すると、動きは少しずつ無駄が減って、省エネになっていくように感じます。その変化は脳の中で何が起きることと結びついているのか。指だけでなく、体の使い方まで含めて知りたかったのです。
ただ「練習すれば弾けるようになる」と受け止めるのではなく、その変化の仕組みを知りたい。自分が練習の中で感じる動きの変化を、脳の働きと結びつけて理解したい。何度も本を読み、論文を探していたのは、そういう問いがあったからでした。
いまなら、練習の進み方や身体の使い方について、もっとたくさんの説明を見つけられるかもしれません。当時の私は、どの論文をどこまで読んだかを細かく覚えているわけではありません。それでも、ひとつの説明を読んで終わりにせず、関連する研究を探していたことは覚えています。自分が感じている「前より楽に動ける」という変化を、気のせいで片づけず、身体の中で起きていることとして知りたかったのだと思います。
ピアノという楽器を知ろうとしていた
これまで読んできた本の中には、ピアノそのものについて知る本もあります。当時は、楽器の仕組み自体に興味がありました。ピアノの構造はどう変わってきたのか。アップライトとグランドでは何が違うのか。高級なピアノは、何が違うことで音に差が生まれるのか。そんなことを知りたくて、足立博さんの『まるごとピアノの本』などを読んでいました。
とくに気になっていたのは、音の違いです。音の高さを表す周波数が同じでも、音色が違って聞こえるのはなぜなのか。ピアノの構造やつくりの違いが、実際に鳴る音の何を変えているのか。まだ自分で説明できる答えを持っていたわけではありませんが、疑問を持つこと自体が面白かったのを覚えています。
「高級なピアノだから音がいい」という言葉だけでは、その違いを分かったことにはできません。どこがどう作られ、その結果として音の何が変わるのか。仕組みを知って、耳で感じる違いとつなげてみたい。そんな問いが、本を開く理由のひとつでした。
問いを持ったからといって、すぐに答えが見つかったわけではありません。同じ音の高さでも、なぜある音は明るく、別の音は深く聞こえるのか。アップライトとグランドでは、構造の違いがどんなふうに音へ現れるのか。読んで理解したつもりになっても、実際のピアノを前にすると、また別の疑問が出てきます。それでも、知識と耳を行き来することが面白く、次の本や情報を探すことにつながっていました。
また、OHHASHIのピアノについて書かれた本も手元にあります。国産ピアノの歴史や、楽器を作る人たちの仕事に触れる本として、写真の本と一緒に記録しておきたい一冊です。ピアノを弾くことから少し離れて、どんな人がどんな考えで楽器を作ってきたのかへ関心が向いていたことが分かります。
こうした本を読んだから、すぐにピアノ選びの答えが出るわけではありません。それでも、今、中古ピアノの購入を考え始めたとき、楽器の仕組みや状態に関心が向くのは、突然のことではないように思います。以前から、本を通じてピアノの外側にあることも気にしていた。その関心が、これから実際に一台を選ぶ時間につながっていくのかもしれません。現在の検討については、中古ピアノを選ぶ過程にも記録しています。
物語の中のピアノにも、目が向いた
本棚には、知識を得るための本だけでなく、ピアノが出てくる漫画や小説もありました。『のだめカンタービレ』『ピアノの森』『ピアノのムシ』。恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』も、ピアノに関心を向けていた時期に読んだ作品です。
ここで作品の内容を紹介したいわけではありません。物語を読む時間もまた、鍵盤に向かう練習とは違うかたちで、音楽に触れる時間だったということです。演奏する人の姿を追いかけたり、楽器を支える仕事に目を向けたり、音楽を聴いたときの感覚を自分の中でたどったりする。そういう時間が、私には必要だったのだと思います。
ピアノを弾いていないとき、練習できていないことに気後れすることがありました。それでも、ピアノに関係する情報を探したり、本を読んだりしていました。鍵盤に触れていないからといって、関心まで途切れていたわけではありません。頭の中では、ずっと何かを受け取ろうとしていたのだと思います。
読むことも、ピアノとの関係の一部だった
今はピアノを弾いていません。今はまだ、生ピアノも手元にありません。それでも、次にどんな楽器を迎えるのかを考え始めています。弾けない時間の中にも、ピアノに関する本を読み返したり、気になる情報を追ったりする自分がいます。
本を読んだことを、練習の代わりと言いたいわけではありません。弾けるなら弾きたいし、続けられるなら続けていたい。それでも、実際に続けられていない時期に、ピアノとの関係が何もなくなってしまうわけではない。読んだ本や、気になって集めた情報は、そのことを思い出させてくれます。
手放してしまった本も、何度も読み返した本もあります。今あらためて読み返したら、以前とは違うところに目が止まるかもしれません。次にピアノを迎えたとき、かつて読んだ本のことも思い出しながら、その楽器と暮らしていくことになるのでしょう。
本の紹介というより、ピアノを弾いていない時間にも自分の関心は続いていた、という記録です。鍵盤の前にいない時間を、ピアノと無関係だった時間として片づけなくてもいい。私にとって読書は、そのことを静かに示してくれていたようです。

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