一人目の子どもが生まれたあとも、私はピアノを続けていました。
もちろん忙しかったはずです。初めての子育てで、心配なことも多くありました。それでも今振り返ると、練習する時間はまだありました。
二人目が生まれると、その感覚が変わりました。
忙しさが二倍になった、という言い方では足りませんでした。
「一人のときは、時間があった」
久しぶりに先生を訪ねたとき、私は、一人目のときは今思えば時間があった、と話しました。
先生には、二人の子育ては倍というより、それ以上だと思う、という話をしました。ピアノの話をしに行ったはずなのに、会話の中心にあったのは、今の生活を占めている子どもたちの話でした。
一日中、何かをしているのに、何を終えたのかよく分からない。
鍵盤の前に座る時間だけでなく、ピアノを弾こうと思うところまで気持ちを戻す余白がなくなりました。
時間は、予定表の空白だけではない
以前の私も、短い時間を確保して練習していました。仕事から帰り、ハノンやスケールを弾き、残った時間で曲を進めていました。
けれど、子どもが二人いる生活では、空いた時間がそのまま練習時間になるわけではないように感じました。
練習する間、誰が子どもを見るのか。家事をどこへずらすのか。時間は、予定表の空白だけでできているわけではありません。
「本当に好きなら時間を作れる」という言葉では、うまく説明できない時期でした。
弾いていなくても、気持ちは動いている
今は、ピアノを弾いていません。
もちろん、弾き続けていられるなら、それがいちばんいいと思います。けれど実際には続けられていなくても、頭の中では、いつもピアノの情報をキャッチしようとしています。
ピアノが嫌いになったわけではありません。
それでも、ピアノに関心を持っていることと、実際に弾くことの間には、毎日の生活があります。
子どもと一緒に戻るかもしれない
新しい家の間取りには、ピアノを置く場所があります。まだ入居前で、ピアノもこれからです。
子どもがピアノを習いたいと言ったら、一緒に練習できるかもしれません。先生の話を一緒に聞き、家で楽譜を開く日が来るかもしれません。
自分一人のためには作れなかった時間が、子どもとなら作れるのか。それがよいことなのかも、まだ分かりません。
子どものためと言いながら、自分が戻る理由を探しているだけかもしれません。
二人目が生まれて、ピアノはさらに遠くなりました。
そして今、子どもがいるからこそ、別の形で戻ることを考えています。
同じ出来事が、遠ざかる理由にも、戻る理由にもなり得ることを、まだ不思議に感じています。

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