レッスンを休んで3か月ほどが経った頃、久しぶりに先生のところを訪ねました。
怪我で発表会に出られなかったあとも、しばらくレッスンは続けていました。けれど、そのあと3か月ほど休止していました。その間、連絡らしい連絡もしないまま、時間が過ぎていました。連絡もせず、申し訳ないかなと思っていました。
訪問は、突然でした。玄関先で、突然の訪問をお詫びするところから始まりました。
ピアノを弾きに行ったわけではありません。第二子が生まれたこと。新しい家を建てていること。仕事と二人の子育てで、一日が何をしたのか分からないまま終わること。レッスンを離れてからの生活を、ただ話しに行きました。
久しぶりに会った先生は、変わっていなかった
話は、以前と同じように、日々のことから始まりました。子どものこと、新居のこと、通勤のこと。レッスンに通っていた頃も、ピアノを弾く前に、こうして近況を話していたのを思い出しました。
教室の生徒たちの話も聞きました。受験で休む人がいる。一度休んだあとに戻ってきた大人の生徒もいる。人はずっと同じ速度で通い続けるわけではなく、生活に合わせて増えたり、減ったり、戻ったりするようでした。
発表会で前後だった人が、ときどき私のことを聞いてくる、とも教えてもらいました。
舞台で一緒になった回数は多くなかったのに、私がいたことを覚えている人がいました。
指は治った。でも、以前のようには弾けない
怪我をした手は、もう治っていました。どこを痛めたのか分からないほどだ、と私は話しました。
それでも、少し前に久しぶりに弾いてみたら、楽譜を読む目に手が追いつかず、指も以前のようには動かなかった。
先生は、弾かなくなると変な感じはするけれど、弾き始めれば感覚はすぐ戻る、楽譜も読めるし指も十本動いているから、いつでも復活できる、という趣旨のことを話してくれました。
その言葉を聞いて安心した、と書けばきれいなのかもしれません。
ただ、実際の私は、すぐに「では来週から再開します」とは言えませんでした。ちょっとゆったりした曲が弾けたらいいな、と話しはしました。けれど、レッスンがなくても好きで弾けばよいと言われても、一人ではなかなか続かないことを、自分はもう知っていました。
大人になって、指摘されることがなくなった
私は、社会人になってから、こうして人に指摘してもらう機会はなかなかない、と話しました。何かを新しく始めて続けることも、社会人になると難しい。
レッスンでは、音が硬いこと、左手をもっと聞くこと、ペダルを踏み替えるところなど、自分では気づけないことを何度も指摘されました。そして、前よりよくなったところも、見つけてもらえることがありました。
大人の生徒には、それぞれの目標があります。先生は、上手い下手ではなく、わざわざ時間を割いて来てくれること自体がすごいことだと思っている、という趣旨のことを話していました。
上手になるためだけではなく、もう一度「教わる側」になれること。私は、それが好きだったのかもしれません。
新しい家には、ピアノの場所がある
新居の話をしながら、ピアノを置く場所のことも話しました。グランドピアノを置けるほどではありません。それでも、間取りの中にピアノの居場所があります。
先生は、子どもが習い始めたら、親も一緒に楽譜を読んで練習に付き合うと、先生にとっても助かるし、子どもも伸びますよ、と話してくれました。
子どもが始めるタイミングで、また再開できたら一番いい。家が完成して気分が新しくなったときに、戻れたらいい。その日は、そんな話をしました。
先生と別れるとき、私は、また戻ってこられたら戻りたい、と話しました。「戻ります」とは言えませんでした。
その日、私はレッスンを再開しませんでした。
ただ、弾かなくなってからも消えなかったものがあることを、あの場所で確かめたような気がします。

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